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【おすすめ本】現代のスピリチュアリズム文化にモノ申す!スピリチュアリズムの本性に迫る本

スピリチュアリズム  苫米地英人

現在は、この本が書かれた2007年に比べればスピリチュアルブームもだいぶ治まっていますが、確かに今思い出してみると、10年前くらいってそういう番組が多かった気がします。

そんな時代にスピリチュアルに対して正面から警鐘を鳴らしているこの本。

当時流行っていた江原啓之氏やオウム事件を題材に、スピリチュアリズムとは何なのか?何が危険なのか?を説いています。

他の苫米地博士の本とは若干趣向の違う内容で、新鮮な感じで非常に面白かったです。

●あらすじと所感

それでは、本のあらすじとそれを読んだ私の所感を紹介していきます。

●スピリチュアルとは何か?

スピリット=魂・霊魂がある事をベースにした考え方みたいなものでしょうか?

そして、スピリチュアリズムとは、その考えから発展して宗教的なものにいたったものと捉えられています。

「宗教だなんてそんな大げさな」と言う人もいるでしょう。

では、宗教とはなんなんでしょうか?

日本人は無宗教だなんて言われたりします。

自分も宗教心は全くないと思っています。

それでも、神社に行けば厳かな気持ちになったり、お賽銭を投げたりしています。

それは自分の心の中に刻み込まれた文化的な何かがあるからなのでしょう。

我々はその「何か」に縛られて行動したり考えたりしています。

その「何か」にスピリチュアル的な考え方が入れば、それは宗教と変わらないですよね。

そんな定義をしつつ、イギリスを発祥とするスピリチュアルの歴史的背景を追っていきます。

江原啓之氏に対して

苫米地博士は、この本で、一貫して批判的な立場をとっています。

それは江原氏個人に対する批判ではなく、「スピリチュアリズム」の考え方にはオウム真理教のようなカルトの教義に繋がる危険な考え方があるからなのです。

江原氏はそれを知らない可能性が高く、嘘をついて人を騙しているとは考えていないようです。

●生まれ変わり思想の危険な考え

生まれ変わり、つまり「輪廻転生」という考え方。

一見、危険な思想には見えないこの考え方ですが、実はオカルト宗教がテロ思想に繋げる危険な論理が入っているのです。

この輪廻転生という考えにはセットで「業(カルマ)」という考えがついてきます。

現世で苦しいのは、前世で悪行を働いたからだ

現世で苦しければ苦しいほど、魂は磨かれて、来世は幸せになれる

といった考えです。どこかで聞いたことがあるでしょう。

この考えには現世利益というものはありません。

要は生まれた時から前世のカルマを背負っているので、来世の為に苦しまなければならないという考えなのです。

これはすなわち絶対的な差別につながると苫米地博士は説いています。

つまりインドのカースト制に代表されるように、生まれた時の身分は固定的で、下の身分の人は来世の為に死ぬまで苦しんだ方がよいという思想なのです。

そのような思想が浸透しているインドでは、下の身分の人が自ら率先して苦しんだ方が良いと考えているので、現代になっても制度がなくならないのもうなづけます。

そして、悪い人(オカルト的な考えの人からみて)は苦しませて殺してあげた方が来世で幸せになれると解釈してしまえば、自分たちとは違う思想をもった悪い人は殺してあげた方がよいといった危険な思想に繋がるのです。

自分もTV等で「輪廻転生」等の宗教的な考え方を耳にする機会がありましたが、その時は気にすることもなく聞き流していたのですが、上記のような論理的帰結を見せられると、なぜオウム真理教があのような一連の事件起こしたのか?少しだけわかった気がしました。

そして、スピリチュアリズムにはこの思想と全く同じ思想が組み込まれているのです。

ちょっと見る目が変わってきませんか?

●仏教哲学と科学

最後に苫米地博士は科学者として江原氏の言葉に対峙しています。

江原氏は「科学という信仰の妄信」という言葉で科学を批判していますが、それに対して博士は、科学者とは信仰しないものであると返しています。

数学世界の不完全性定理量子論が明らかにした不確定性原理からいっても科学は万能ではないことが証明されています。

しかし、知識を全力で使って、検証可能な論理で物事を明らかにしていく、そして、常に自分の考えは正しいのだろうか?と検証していく姿勢を持つものが科学者なのだと。

検証不可能な宗教的論理に逃げないのだと

そして、現代科学が明らかにしてきた事は、2500年も前に釈迦が悟った事と同じであったというのです。

博士はこの本でも釈迦の思想をスピリチュアリズムの思想と対比して紹介しています。

自分も宗教としてではなく、哲学としての仏教、釈迦の思想を学んでみたいと思いました。