No Gain without Pains

自動車関連エンジニアによる読書のすゝめ

【おすすめ本】人間の知性の限界はどこにあるのか?天才達が明らかにしてきた人間の限界に迫る!

●理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性  高橋昌一郎

理系の本を読むようになると、たまに「不確定性原理」や「不完全性定理」というものが出てきます。

それが気になって、それについてわかりやすく説明されている本を探していたら、おもしろそうだったのがこの本です。

理性の限界についてのシンポジウムの参加者達が、ディスカッション形式で議論を進めるといった架空の状況を設定して文章が構成されていて、新しいなと思いました。

また、その架空の参加者達の様々なバックボーンやキャラクター設定によって、色々な角度から議論を見ることができると思います。

この本では、理性の限界として、不可能性、不確定性、不完全性といった三つの定理を主題に議論が進みますが、それぞれは、社会科学の限界、自然科学の限界、形式科学の限界についてどう考えるかといった内容になっています。

●アロウの不可能性定理による「選択の限界」

まずは、アロウの不可能性定理による「選択の限界」の話から

選択と言えば、選挙が代表的なものとして挙げられると思いますが、選挙には色々な形式がとられています。

しかし、どのような形式をとったとしても、どこかで矛盾が生じてしまい、完全に合理的な選挙は不可能であるといいます。

また、「囚人のジレンマ」という有名なパラドックスを題材に「ゲーム理論」による「ミニマックス理論」などが紹介されており、今後の人生の様々な選択の場面で、自分がどのような選択をするべきなのか?の一つの考え方を得た気がします。

ハイゼンベルク不確定性原理による「自然科学の限界」

次に有名なハイゼンベルク不確定性原理による「自然科学の限界」について

これは量子論の中から出てきた原理ですが、この原理の意味するところについては専門家の中でも意見が割れているようです。

それは、量子のような超ミクロな世界では、観測をした途端に観測の影響を量子がうけてしまい、位置と運動量を知ることができないという「観測の限界」であるという考えと、そもそも量子は観測をする前から位置と運動量は不確定であり、どこにでも存在すると同時に存在しないという摩訶不思議な状態であるという考えです。

後者の考えには、あの相対性理論を創り上げたアインシュタインや、量子論を築き上げた一人であるシュレーディンガーですら疑問を呈しており、アインシュタインは「神はサイコロを振らない」という有名な言葉で皮肉っていますし、シュレーディンガーも「シュレーディンガーの猫」という有名なパラドックスで問題提起しています。

このような議論はまだまだ解決をみていないようですが、量子論は現に現実世界で成功を納めており、これからの世界は、量子論を制する者が世界を制するといっても過言ではないくらい、まだまだ成長していく分野なのでしょう。

量子コンピューターが当たり前になる頃には世界はどうなっているのだろう・・・

ゲーデル不完全性定理による「形式科学の限界」

最後にゲーデル不完全性定理による「形式科学の限界」について

形式科学ってなんぞや?って所ですが、要するに数学かな?

数学のような一見、論理の塊で非の打ちどころがないような系(システム)の中に、その系で証明不可能な命題が存在してしまうということです。

ゲーデル以降、不完全性定理は拡張され、ゲーデルが証明した自然数の世界だけではなく、数学全般にわたって証明されたといいます。

そこで「神の非存在論」が出てくるわけです。

要するに「神」をキリスト教などの一神教が言う所の「神」、いわば「全知全能の神」と定義すると、その神も不完全性定理に支配されるため、全知全能ではなくなる。

ということは、全知全能の神は存在しないということになる。

これに関しても当然議論の余地のあるところでしょうが、神の存在を数学で否定できるってすごいですね。

 

どの議論もおもしろく、非常に知的興奮を刺激される内容でした。

量子が粒子と波の性質を同時に持っているように、我々の思考は同時に複数の選択肢を持つことが出来ます。

ということは、思考と量子の間には何か関係があるのか?

なんて妄想を膨らませるのも楽しいです。