【おすすめ本】天才脳科学者が答える本当の知性とは?日常の疑問をわかりやすく解説します
●苫米地博士の「知の教室」 苫米地英人
●どんな本?
一見、タイトルからこの本の内容を推し量るのは難しいかもしれません。
概要は、
編集者が疑問に思った17の事柄について、博識な苫米地博士が
出来るだけわかりやすく、たとえ話などを織り込んで、対話形式で答える。
といった感じです。
普通、いきなりこんな事聞かれたら「え?どうやって答えればいいんだろう?」といったような事でも、平易にわかりやすく説明してくれます。
難しい事を難しい言葉で語らず、相手がわかる言葉で説明する。
様々な分野に精通する苫米地博士ならではの回答に「なるほど!」となってしまいました。
こういうのって、一つの分野の専門家では難しいのかもしれませんね。
様々な分野の知識があるからこそ、相手の引き出しに合った答えを選んで話すことが出来るのでしょう。
その中のいくつかについて、さわりだけ紹介します。
●4次元について
よく相対論などの本で、「空間軸の3次元(縦、横、高さ)に時間軸を加えて4次元とする」みたいな事が書かれていたりしますが、その時間軸という概念についてイメージしずらい人もいるので、「待ち合わせ」を例にとって時間軸を説明しています。
簡単に言えば、
待ち合わせで、場所だけ指定しても会う事はできないでしょ
ということです。
自分としては特に時間軸のイメージはしずらい事はなかったのですが、説明の方法として「なるほど」と思いました。
●時間の流れについて
時間が流れる方向について、多くの人がイメージするのは、
過去 ⇒ 現在 ⇒ 未来
の方向だと思います。
しかし、苫米地博士はそれは誤りであり、時間の流れは、
未来 ⇒ 現在 ⇒ 過去
なのだと論じています。
この説明には、川上から流れてくるボールで説明していますが、これを聞いてすぐに腹に落とすのは難しいかもしれません。
これは、「時間が進む」といったような言葉に影響を受けているのかもしれません。
はたまた、時計は未来へ向かって進んでいるわけですから、そういう固定観念が出来上がってしまってもおかしくないでしょう。
しかし、確かに時間が過去から未来の方向に流れていると考えると、過去が未来に影響を与えるという因果になって、どこか古典力学の決定論的な考え方になってしまいそうです。
でも、過去起きた事象が自分にとって「良かった」出来事だったのか「悪かった」出来事だったのかが決まるのは未来である気もします。
それは、その時は「失敗した!」と思った出来事であっても、その失敗が原因で、未来に大きな成功を納めれば、その過去の失敗は「悪かった」出来事から「良かった」出来事に変わってしまうからです。
だからといって過去の出来事が未来に影響しないとも言えない気もします。
なので、この本の別の章でも書かれていますが、実際は双方向であるといった方がよいのかもしれません。
仏教でいう「縁起」の概念。
それは、原因⇒結果の因果だけではなく、同時に結果もまた原因になっているという考え。
全ての事は、関係性で成り立っており、逆に言うと関係性がなければ存在しないのと一緒という概念。
だから、
過去があって未来があり、同時に未来があって過去がある
といった感じでしょうか?
著者は、アインシュタインの相対論の方程式ではt(時間)はマイナスで、x、y、z(空間軸)はプラスで書かれているから過去に向かって流れているのは科学でも常識とも言っています。
この辺は、もし物理に詳しい方がいれば是非ご意見をお伺いしたいところです。
●道を極める事とトレランスの話
最後にエンジニアらしい話題を一つ。
この話の中で、
日本の工業製品は、トレランス(許容範囲)を決めても、中央値が非常に高い分布でモノをつくってしまうが、アメリカでは、トレランスの範囲にあればいいという考えの元で裾野が広い分布でモノをつくる傾向がある。そして、それは、日本はリソーセスを無駄遣いしているということ。
といった内容の指摘がありました。
また、それは安くて良いモノを求めすぎる消費者側に原因があるということです。
アメリカにも職人は存在して、トレランスを狭めようと思えば要求に従ってトレランスを狭める事はできるが、要求がなければしないだけの事。
この話は感覚としてはよくわかります。
アメリカもそうかもしれませんが、おそらく、中国製品もその傾向が強いのではないでしょうか?
だからこそ日本製品は安くて品質の高いものという認識が広まっているのだと思います。
しかし、これからさらにグローバル化は進み、海外の部品工場から仕入れて組み立てるという傾向はどんどん加速されていくでしょう。
そうなれば、トレランスの範囲でギリギリ許容範囲といったモノも多く使わざるを得ない状況は容易に想像できます。
その時に日本の工業製品はどういった立ち位置で世界と闘っていくのか?
今までの品質を担保できるのか?
これまでのやり方では通用しない時代に既に突入しているのでしょう。
そこを勝ち抜くためにには、製品そのものに新たな価値を創造しなければいけないのだと思います。
しかし、そういう仕事が苦手な日本人がどう闘っていくのか?
自分を含めて、岐路に立たされているのだとあらためて感じさせられました。