【おすすめ本】正しい怒り方を知りたい方におすすめの本をご紹介!
●「怒らない」選択法、「怒る」技術 苫米地英人
喜怒哀楽の感情の中で、もっともコントロールが難しい「怒る」という感情。
そこに焦点をあてて、脳科学的に「怒る」という感情にどうやって対応することが正しいのかを天才脳科学者 苫米地博士が教えてくれます。
本書では、「怒る」事は生理現象であり、我慢する必要はないが、正しい怒り方をしないとストレスが溜まりますよと言っています。
●本書の全体の流れ
では、早速本書のアウトラインを概観してみましょう。
といった感じで話は進みます。
その中の一部について、私の所感も含めて紹介していきます。
●怒る為の条件とは?
間違った所で怒らないように、怒るための条件として以下の2つが挙げられています。
- 相手に過失があり、その過失によって自分が不利益を生じた場合
- その過失が予想外だった場合
1.は当然ですね。普通は1.の段階で怒っていると思います。
さて、問題は2.です。
「相手の過失が予想外だった場合」
これについての論理は、喜怒哀楽の感情とは、基本的に予想外の出来事が生じた時に発生するものであるとの定義から始まります。
要するに、予想通りの事が起こっても感情は大きく動かされないから、感情を大きく揺さぶる為のトリガーとして「予想外」というモノを定義しているわけですね。
なるほどです
だから、「怒り」の感情も例外ではなく、相手の過失が予想外の時にだけ生じさせる事が、生態的に正しい「怒り」なんだという事です。
ただし、ここでよく勘違いしてしまいそうなのが「期待」です。
「予想」と「期待」とは違うものだということに注意しなければなりません。
「期待」とは勝手なこちらの思い込みであり、「予想」とは様々な情報から論理的にはじき出すモノだからです。
だから、「期待外れ」だから「怒る」というのは間違った「怒り」だということです。
●正しく「怒る」為には?
さて、怒る条件は整いました。
が、「怒る」技術がなければ戦えません。
正しく怒り、そしてこの戦いに勝利する為には、何に気を付けなければいけないのか?
それは、言葉です。
怒りで感情優位になりがちな状態の脳に対し、前頭前野はフルに働かせて、相手の弱点を見つけ、そこをどうやって攻め崩すのかを思考しなければならない。
そして、その思考を言葉に乗せて相手にぶつけるのです。
本書ではそのトレーニングに格闘技をおすすめされています。
格闘技では、直接ボディコンタクトが生じることが多いので、特に初心者では頭に血が上りやすく、冷静に反撃できない状況が多々見られます。
そんな中で相手に攻められても、冷静に相手の動きを捉えて反撃の手段を思考する。
そこには色々な手があるはずなのに、感情的になるとその使えるはずの手が見えなくなってしまう。
そんな状況を経験できる格闘技はよいトレーニングになるということです。
自分も長年柔道を経験しているので、この状況はよくわかります。
相手の攻撃による感情の動きだけではなく、疲労によっても情動優位となって、論理的思考がしにくくなる場面は多々あります。
そこで冷静になって、使える手を模索できる時は調子がいい時なのでしょう。
世界レベルの試合を見ていても、トップレベルの選手は、あんな大舞台でもどこか冷静に試合を運んでいるように見えます。
●常識は常に疑え!
「信用を得るのは難しいが、信用を失うのは一瞬だ」
このような文言はよく聞きます。
いわゆる、常識のように言われている言葉です。
しかし、本当に正しいのでしょうか?
本書ではこんな例が挙げられています。
本当に信用を得るのが難しいならば、TV出演していた人が国会議員等にうかりやすいのは何故か?
信用なんていうのは意外とそんなものなのではないのか?
その人の政治信条などを詳しくしらなくても、TVに出ていたから何となく信用して、何となく投票しているのではないのか?
また、本当に信用を失うのは一瞬か?
一瞬で信用を失うような相手とは本当の信用など築けていないのではないのか?
本当の信頼関係があれば一度のミスで信用がなくなるような事はないのではないのか?
ここに関しては賛否両論あるかと思います。
しかし、「疑ってみる」という訓練にはよい題材かもしれません。
自分としては、「信用」という言葉の定義次第なのかな?と思ったります。
要するに信用とは幅のあるものであり、絶対的な信頼関係からビジネス上の軽い信用までを一緒に議論すると答えを見つけられなくなってしまうのではないかと思います。
でも、そうやって常識を疑ってみる事で、論点を自分で整理することができるのです。
●読み終わって
簡単に概要を追ってみましたが、「怒る」ことに悩んでいる方は、会社員の方だけでなく、子供に対する母親であっても一読すると新しい視点を与えてもらえるかもしれません。
本書の最後の方では、論点が、「怒り」の矛先が個人レベルではなく、国家レベルの話になっていて、最初の趣旨から若干外れかかっているような所もありましたが、それはそれでおもしろい内容でした。
自分もこの本を読んでから、若干、怒る事に対して冷静にみられるようになったと思います。